銀河英雄伝説 DIE NEUE THESE 1話、2話:原作に起因するツッコミどころを克服しつつ説得力のあるアニメ作品になっている
■ 第1話「永遠の夜の中で」 第2話「アスターテ会戦」
◎: 冷静に見るとツッコミどころは多いのだがおもしろいことには変わりない。
欠点を克服して説得力のある絵をつくっているアニメ制作陣には最大限の賛辞を送りたい。
NHKで再アニメ版「銀河英雄伝説」の放送が始まった。再アニメ版第1シーズンは2018年に民放の深夜アニメとして放送されその後、第2シーズンが劇場公開されている。今回NHKの放送では第1・第2クールとも放映するらしく特に初見の第2クールは楽しみだ、というところで今回第1話・第2話で描かれたアスターテ会戦を観た。
「未来の宇宙空間は2次元平面になっている」と評されることもある同作のため、実質2次元平面の戦場描写でしかない小説の文章を、いかにそれっぽく3次元空間の戦いの映像に仕立て直して見せるかという点でアニメ制作者の苦労が偲ばれる。
このアスターテ会戦、元ネタはイタリア戦役時代のナポレオンが戦ったカスティリオーネの戦い / ガルダ湖畔の戦い(1796年)らしい。
オーストリア軍1万が籠もるマントバ要塞を包囲中のフランス軍3万に対して、オーストリア軍は5万の軍を差し向ける。オーストリア軍はアルプスの峠道を三方に分かれて進撃、その兵力はそれぞれ、中央2万5千、右翼2万、左翼5千。規模の大小はあっても同盟軍の3個艦隊の状況に近いことがわかる。
総兵力では圧倒的不利な状況のため、包囲を解いて撤退するのが常道とされる中、ナポレオンはオーストリア軍の横の連絡が困難という点に気づき、機動力を最大限に活かし各個撃破を試みる…。
アスターテ会戦において銀河帝国軍が、自由惑星同盟軍の3個艦隊を各個撃破するためには、ナポレオンの戦訓を参考にすれば、① 3個艦隊間でのコミュニケーションが取りにくい・実質とれない環境にあった、② 銀河帝国軍の機動力が自由惑星同盟軍を圧倒していること の2条件は最低限でも必要となるのだろうがこうした必要条件の説明はあまりない。
そもそもなぜ同盟軍は3個の艦隊がバラバラに進撃していたのか?
ナポレオン時代には街道を通行できる許容量が制約となり、会戦に参加する部隊は別々のルートを通って戦場予定地点に移動する必要があったわけだが、宇宙空間にそれほどの制約があったかどうかは定かではない。
個々の艦隊の所属拠点が異なるため出発箇所が異なり、移動に時間差がでたとすると集合宙域を敵の目前に設定しているのはアホだ。3個艦隊が集まらなくても個々に戦っても十分勝てるとでも踏んでいたのならもっとアホだ。
帝国軍が予想より早く侵攻してきたというのであれば、戦場において敵の位置を十分把握できない中で漫然と(アニメの中ではそうとしか言いようがない描写が散見される)していた同盟軍将官のレベルは低すぎるとしか言いようがない。
同盟軍の艦隊間でのコミュニケーションが取りにくかったという描写は弱い。確かに戦闘開始直前には通信妨害がはいったという描写はあるが、その前には、第6艦隊のラップと第2艦隊のヤンとの間での私的な通信が取り交わされている(しかも映像付きだ)くらいに自由にコミュニケーションがとれている。帯域/容量の制約がありそうには見えない。まだしもガンダム世界のミノフスキー粒子のように通信や探知を妨げるような設定はこの作品にはない。
同盟軍の宇宙艦艇の機動力が帝国軍のそれに劣っていたかというと今回の第2話終盤に、ヤンの作戦指揮のもと、両軍がお互いのしっぽを食い合ってぐるぐる回転するような機動を行っていることからもあまりそれは考えられないように思う。
ちなみに、前出のカスティリオーネの戦い / ガルダ湖畔の戦いにおいてナポレオンは自軍の機動力を高めるため、当時の軍隊において重要な打撃力であった砲を捨てて移動したと伝えられている(なにしろ大砲を除くと、兵の手元の小銃とあとは白兵戦だけが打撃力なのだから)。打撃力を捨ててまでも移動を急いだということ。
あ、そっか、帝国軍側の描写にそういう、足が遅い艦艇はおいていくといった描写があればもっと説得力ましたのかもしれない。
ここまで書いたがツッコミポイントは原作時点に起因するものばかりであり、そうした欠点を克服して説得力のある絵をつくっているアニメ制作陣には最大限の賛辞を送りたい。